「もしもなんでも夢が叶うとしたら、何を叶えたい?」

はじめまして、猿吉と言います。

29歳で本格的に音楽を始めました。目標は

音楽の道で食っていくこと

です。

 

この記事では、
僕が30歳手前で音楽を始めるまでに至った経緯について書かせていただきます。

「夢はあった。けど現実的に厳しいから諦めた」

「音楽活動してる人間のリアルをのぞきたい」

そう思ってる人にはぜひ読んでいただきたいです。

 

 

僕は学生時代からずーっと劣等感の強い人間でした。

大したことしてなくてもすぐ「ごめんなさい」と謝り、

同級生と比べては自分にコンプレックスを持つ。

何をやってもダメダメな自分が、嫌いで仕方ありませんでした。

 

そんな時、僕を救ってくれていたのが音楽です。

クラスでいじめにあった時や、嫌なことばかりで心がおかしくなりそうだった時、音楽を聴いては心が楽になっていました。

音楽は僕にとって心のよりどころでした。

 

・・・ただ、自分が音楽をやる側になるとは、この時は思っていません。

ロックバンドに憧れて、エレキギターを買うも、Cコードすら抑えられずに挫折。

「自分はリスナーでいいや」

と思ってました。

 

高校に入って、僕の暗黒時代はさらに加速していきます。

「クラス」という狭い社会の中で、この3年間は本当にしんどかった。

自分を出せず、イエスマン。
自分の意思なんて関係ない。

とにかく仲間外れにされないために生きていてきた3年間。

辛かった。

もちろん、誰のせいでもなく、自分の意思を言えない、自分自身の責任です。

 

ただ、そんな高校時代から僕にはある欲求が芽生えました。

「自分以外の何者かになりたい!」

という欲求です。

はっきりと「〜になりたい」という目標があったわけではありません。

ただ、とにかく自分以外の誰かになりたい思いがありました。

たぶん自分が本当に嫌いだったんだと思います。

 

高校卒業後、地元の工場に就職しますが、うまくいかず1年で辞めました。

そして僕はここから数年、とにかく何者かになるためにひたすら行動します。

 

なんでもいい!とにかく何者かになりたい

まずはじめにやったのは自転車で日本一周することでした。

今思えばなぜ、その道を選んだのか分かりません。

思い当たる節といえば自転車漫画ぐらいです。(←それだ)
*オーバードライブ、シャカリキ

当時は「自分を変えたい!」と言ってましたが、

今思えば「なんかすごいことして有名になりたい」だったんだと思います。

・・・我ながら恥ずかしい。

 

1年かけて自転車で日本一周し、その後、北海道や広島に住んで仕事をしてました。

その期間、

「自分には何が向いてるんだろう?」

「自分のやりたいことってなんだろう?」

と、考えながら生きてました。

自分のやりたいことを見つけ、ひたすらに努力する人たちを見ては眩しく感じてました。

 

そんな時、出会ったのがネットでの執筆活動です。

mixi全盛期時代から文章を書くのが好きでした。
しかし、まさかそれが仕事になるとは思ってませんでした。

しかしその時から、ネットで生計を立てる人が増え始め、自分も目指すことにしました。

 

ネットで何者になれたけど・・・

それから僕はひたすらネットの世界に浸かりました。

ライターとして記事を書きまくったり、自分のサイトを作って執筆活動をしたり。

そのうち本当にそれで飯を食っていけるようになりました。

僕はついに何者かになれたのです。

今はもう下火ですが、いわゆる「ブロガー」というやつです。

憧れの何者かになれた・・・当時は本当に嬉しかったのを覚えてます。

小さい頃から抱いていた承認欲求が満たされていくのが分かりました。

 

・・・ただ、数年すると「これでいいのか?」と思うようになります。

というのも、憧れの何者かになれたはずなのに、心は幸せと感じてなかったからです。

なぜ?何者かになれたのに?

僕はまだまだ、他人を羨ましいと感じてました。

特に自分の夢に向かって努力してる人、活躍してる人たちを見ては、妬んでる自分がいたんです。

「自分が進むべき道はこれじゃないのかな?」

「それじゃあ、他に何をやる?」

そう自分に問いかけては、答えがでない毎日を過ごしていました。

自分以外の誰かになっても幸せにはなれないんだと分かりました。

 

「もしもなんでも夢が叶うとしたら、何をする?」

そんなある日、今組んでるユニットの相方と共通の友人宅に行く途中、こんな質問をされました。

「もしもなんでも夢が叶うとしたら、何をする?」

はじめは「起業したい」とか言ってました。

理由は単純で「かっこいいから」だけでした。

 

・・・でもその時、ふと頭に浮かんだんです。

音楽がやりたいって。

そしてポツリと、その気持ちをつぶやきました。

「あっ、音楽やりたいわ」

この瞬間、今までモヤモヤしてた何かが一気に晴れた感じがしました。

何者かになっても幸せじゃかった僕が、誰でもない僕自身が心から求めていたもの、

それは、自分が好きなことに真剣に打ち込むこと。

そして、その好きなものこそ「音楽」

 

それから僕は、その相方と「分水嶺」というユニットを組むことにしました。

帰りの車の中で

「ユニット名は何にする?」

「どんな音楽をする?」

と、ワクワクを抑えきれずに話した時間は、今でも忘れられません。

今まで見つからなかった自分の夢が30歳間近にして、ようやく見つかったのです。

 

きっとたくさん辛い思いをしたのも、自分が音楽をやるためには必要な経験だったと今では思えます。

 

厳しい現実

ただ、そこから厳しい現実は待っていました。

二人ともまともに楽器なんて弾けません。
僕がなんとかギターでメジャーコードを抑えられる程度。
(Fは抑えられない)

なのでパソコンで音楽を流しながら、ライブを重ねていきます。

・・・そこからが辛かった。

僕ら知名度のないユニットに、お客さんは当然入らないんです。

来ていただいたとしても1〜2人。

もちろん、貴重な時間を割いて、しかもお金を払ってまで来ていただく方には感謝しても仕切れません。

けど、音楽を本気で生業にしたい僕らにとって、
何度ライブを重ねてもお客さんが増えないは苦しかったです。

一番辛かったのは、投げ銭ライブ。

僕ら入れて3組の出演のうち、僕らには1円すら入らなかったのです。

その日の帰り道はもう忘れられません。

悔しくて悔しくてたまらなかった。その瞬間は消えてなくなりたかった。

 

けど、こういう辛い思いをたくさんするのはわかっていました。

YouTubeでプロの音楽を聴ける時代、
僕ら素人の音楽をわざわざ足を運んで観に来てくれるなんて、普通はありません。

もちろん時代のせいではありません。
完膚なきまでに僕らの実力不足です。

分水嶺は結成してもう1年になりますが、まだまだスタート地点にすら立っていません。

 

僕らは諦めない

惨めな思いは今でもたくさんしています。

でも、それでも諦めません。

ここで諦めたら、同じことの繰り返し。

僕がやっと見つけた夢、絶対に手放さなしたくない。

かといって、今の時点で実力があるかと言われれば、まだまだ自分たちの音楽に自信を持てないのはたしかです。

 

・・・ただ、少しずつ前には進んでます。

まず、音楽のスタイルも少しずつ固まってきました。
(ギター中心になりました)

そして、相方の洋々はポエトリースラムジャパンに出場し、全国大会への出場を決めました。

 


お世辞抜きで相方はめちゃくちゃすげえ奴です。

こんなすごい人の力を埋もれさすわけにはいきません。

 

また、僕は僕で弾き語り活動を行ってます。

辛い1年の中での、忘れられない思い出たち

音楽活動をはじめて1年、楽しい嬉しいよりも、圧倒的に辛い出来事の方が多かったです。

けど、その中でも、嬉しい出来事もあります。

 

貴重な時間を割いてライブに足を運んでくれた人がいること、

自分たちの音楽を聴いて涙を流してくれた人がいること、

ライブ後の悔しさの中「良かったよ!」と声をかけてくれた人がいたこと、

自分たちが納得できる音楽を相方と作れたこと。

 

山ほどある悔しい思い出に比べたら、嬉しいことなんて圧倒的に少ないです。

けど、これらのことは、一生忘れません。

 

僕はこれまで、、、

誰かに認められたくて、何者かになりたくて。

そんな時期を超えて、ようやく大好きな音楽と、面と向かって取り組んでる。

一見遠回りしてますが、ここまでたどり着くのに過去も必要な出来事だったと思います。

 

本気で夢を叶えたい

・・・ただ、厳しい現実の中にいることは変わりはありません。

今だってお客さんは呼べず、自分たちの納得できる曲もまだまだ少ないです。

でも、絶対に諦めません。

僕たちは、夢を叶えたいです。

音楽で本気で夢を叶えたいです。

音楽を生業にしたいです。

この歳でこんなこと言うなんて、はたからみればイタイのは分かってます。

けど、もう自分に嘘つきたくない。

だから、大好きな音楽に本気で向き合いたい。

そう思います。

ぜひ応援していただけると嬉しいです。

またライブ音源を見て、少しでも「良い」と思っていただけたら、ぜひ生の僕らを見に来てください。

必ず「わざわざ見に来て良かった」と思っていただけるライブをします。