![f:id:journeykk:20160223012836j:plain f:id:journeykk:20160223012836j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/j/journeykk/20160223/20160223012836.jpg)
どうも、猿吉です。
以前、24時間耐久マラソンという過酷なイベントに参加したんです。
いわゆる「ウルトラマラソン」というやつ。
いい意味でも悪い意味でも一生の思い出になりました。
もうわるい意味で。
24時間耐久マラソンに参加した理由
失恋です。
このイベントに参加するまえ、僕は当時5年弱付き合った彼女と別れたとこでした。
それで、日々の寂しさを何かで埋めたくて。
「寂しさを他人で埋めたって紛れないよ」
みたいなこと言われたいですが、僕みたいな非モテ男子に新しい彼女ができるわけもなく。
で、何を思ったのか、
ひたすら走ろう
って思いました。
なんでだろう?
今の僕には全く理解できない。
スマホで「マラソン 大会一覧」と検索してでてきたのは全国の開催場所と競技の内容。
10キロとかハーフとかいろいろあるなかでひとつの言葉に目がとまりました。
24時間マラソン
え?なにこれ?めっちゃ面白そうじゃん。
気付いたら開催している団体のホームページにいき参加のボタンを押していました。
完全に勢い。
それから、大した練習もしなくこのイベントに挑みました。(なめてた)
24時間耐久マラソン当日
開催場所は大阪府堺市の光明池駅のそば、新檜尾公園。
コースは公園内の外周5キロ。ここをひたすら走り続ける、というルール。
5キロ周回に1か所のエイド(食べ物や飲み物が用意されている)が用意されているといった感じ。
ちなみに、僕が想像してたのはこんな感じ。
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一応「大会」と名打ってるし、大阪だし。
だいたい100人ぐらいはいるだろうって思ってました。
蓋を開けてみれば、4人。
ん?
スタッフ?
いや、参加者らしい。
え?
うそでしょ?
「なんか変なとこに紛れ込んでしまったぞ」
・・・軽くパニックでした。
午前9時 24時間耐久マラソンスタート
午前9時、24時間耐久マラソンスタート。
最初はコースの確認ということでみんなでゆっくりと1周。
5キロを30分ちょっと。
この日は幸運にも曇り空で、しかも公園内の外周は日陰が多い。
公園のわりにアップダウンが結構あったのがちょっと気になったけど、ランニングにはうってつけ。
ただ一つ、
どのぐらいのペースで走っていいんだ?
と思いながら走っていました。
とりあえずゆっくり気ままに、鼻歌歌えるぐらいの感じで走りました。
24時間耐久マラソン 正午
12時ごろに25キロ到達。3時間で25キロ。
まあペースは落ちるにしても余裕で100キロはいくだろう、なんて思いながら走ってました。
じつはこのイベントに参加するとき「100キロ走る」という目標を決めてたんです。
というのも、イベント前に24時間テレビでDAIGOが100キロ走ったんです。
画像・写真 | DAIGO、100キロ号泣完走「HM、走りました!」 2枚目 | ORICON STYLE
毎日テレビで報道されてるのを見ながら
え?なんでそんなに盛り上がってるの?っていうか人がふつうに歩いて(時速5キロ)20時間歩けば完走できるでしょ?
と思ってました。
あの40歳手前のDAIGOができるんだから俺ができないわけないでしょ。
余裕!!!!!
ということで僕の頭の中には「最低100キロ」「120とかいければいいな」という意識でした。
この頃にはここにきた不安も完全になくなり「よっしゃ!走ろ!」って感じに。
主催者の人には
「24時間マラソンでその汗はちょっとかきすぎですよ」と言われましたが
「おれ汗っかきだし」
と思って同じペースで走りました。
ウルトラマラソン(24時間)にてフルマラソン分完走!自己ベスト!
夕方4時に公園9周、45キロ走る。フルマラソンで言えば完走。
おお!俺フルマラソン分走ったんだ!!!
と喜びにひたる。
・・・しかしこのあたりから、疲れと足のマメの痛みでまともに走ることはできず、1周まるまる歩き。
体もガタがきはじめ1周走るごとに数分のストレッチをしないと足が動かなくなってました。
主催者の言う通りだった。
・・・まぁ、それでもそれでも周50分ほどのペースで歩くことはできてんだから深夜には余裕で100キロいけるだろ!楽勝!!!
途中、密かに公園からコースアウトして駅近くのコンビニでおにぎりとから揚げを買って食べました。なめてる(2回目)
ウルトラマラソン(24時間)、55キロ突破
夕方6時。55キロ、園内11周を走った。あたり一面まっくら。夜が来た。
参加者のみんなが
「いやー、やっと雰囲気がでてきたねー」
とか
「ここからが本番!」
と言っていた。
ここからやっと本番が始まるぞと言わんばかりの雰囲気。
1人を除いて。
![f:id:journeykk:20150904151605j:plain f:id:journeykk:20150904151605j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/j/journeykk/20150904/20150904151605.jpg)
バテバテの僕。
両手で持っているグレープフルーツを喰らったのち、地面に倒れその後10分ほど動かなくなります。
ちなみに、いちばんしんどかったのは、玉ずれ。
片足を動かすたびに玉に燃えるような痛みが走り思わず「うぅ」と声をあげてしまうほど。
足のマメよりよっぽど痛かった。
もうローソンのからあ●クンぐらい赤くなってた・・・。
ウルトラマラソン(24時間)・80キロ到達。時計は0時をまわる
この頃には時速5キロで歩くこともできなかった。
計が0時を回って少ししてからようやく80キロ到達。
残りの20キロ、外周4周が果てしなく遠く感じる。しんどい・・・
そう思った時、周回地点でカレーが用意されていました。
![f:id:journeykk:20150831131941j:plain f:id:journeykk:20150831131941j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/j/journeykk/20150831/20150831131941.jpg)
疲れ切った身体と心にカレーの美味しさがすごく染みわたった。
うめえええぇぇぇぇ!!!!!
よし、まだいける!あと20キロ。とりあえず1周ずつ歩いてけば終了時間の9時には100キロは歩き切れる!
そう思い足を前に踏み出した
その時・・・
足の裏からさっきよりもさらに激痛が。
立ってるだけでも痛い。
一旦座って靴下を脱いでみると、両足には3センチほどの皮がぶよぶよになったマメ。
「これ以上広がったらまずいよ」
主催者の人の一言。
何かの糸が切れるように、その瞬間僕は仰向けに倒れてしまいました。
「もうやめよう・・・」
そう決めた瞬間が少しの悔しさと、そして大きな安堵感に包まれました。
結果、走行時間 約15時間半。走行距離80キロ。
24時間マラソンのエントリー4人の中でもちろん僕が最初の脱落者。
40〜60歳ぐらいのおじさんたちが、さも当たり前のように暗闇のなかを走っている。
しかもみんな100キロ走ってる。
・・・やっぱり変なとこきてしまった。
なんて思ってるうちにいつの間にかおちて朝まで寝てました。
ウルトラマラソン(24時間)・ 朝
時刻は朝の7時。
外は明るくなっていて昨日スタートした時と同じ風景が広がってました。「あぁ、もうすぐ24時間が経つのか」と。
参加者はみんな走り続けていて、うち2人は140キロまでもう少しというとこ。超人?
腹が減ったのでエイドの食べ物を貰いに立ちあがろうとすると・・・あれ?
立ちあがれない
自分の身体とは思えない感覚で「うおおぉぉ」とか声を出しながらなんとか立ちあがるが、今度は足が前に出せない。
いっぽいっぽ踏ん張りながら歩く。
参加者の差し入れである今川焼にむさぼりつき、食べ終わったあとは歯を磨いたり着替えたりして、それからまたひと眠り。
次に目を覚ました時には主催者と他の参加者がゴールテープをもって未だに走り続けている走者を待っていました。
こうして僕の24時間マラソンのチャレンジは幕を閉じました。
朝9時 フルマラソン(24時間)マラソン終了!
スタートしてからついに24時間が経過。
最高記録は155キロ。
まるで競歩のように両足が地面から離れず、その走り方でたんたんと走り続けていた人。
ずーっと表情が変わらず走り続けてたのに、
ゴールした時「やったー!!」と大声を上げながら、達成感に満ち溢れた笑顔で両手を広げてた。
泣いた。グッとくるものがあった。
ビリはもちろん僕。80キロ。自分の貧弱ぶりを身をもって知りました。
![f:id:journeykk:20150905104340j:plain f:id:journeykk:20150905104340j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/j/journeykk/20150905/20150905104340.jpg)
24時間耐久マラソン後、帰りの静岡までの道のり
写真を撮り終わり足を引きずりながら荷物のとこまでいく途中、ある疑問が頭をよぎる。
おれ、このまま無事うちに帰れるのだろうか・・・
案の定、地獄
まともに歩けない。
駅の階段を手すりを使わないと登ることができない。
しかも大阪〜静岡まで鈍行。7時間。
乗り換えが本当に地獄だった。
なにがいちばんきつかったかって、階段を降りるのが1番きつかった。
ただ、そんな過酷な帰路のなかでも僕を幸せにしてくれるものがありました。
これ。
![f:id:journeykk:20150831131948j:plain f:id:journeykk:20150831131948j:plain](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/j/journeykk/20150831/20150831131948.jpg)
この時の金麦はもうとんでもなく美味かった。本当に涙がでそうだった。
ボロボロになった身体に染みわたるビール。15時間半走り続けた後のビール。
そして、
鈴虫の鳴き声しか聞こえない夜の公園、ひたすら自分の頭のなかに浮かんだ思想を巡らせ続け、孤独を味わいつくした後に聴く音楽。
その音楽を聴きながらビールを飲む時間は本当に最高だった。
生きてる実感を強く感じた。また泣いた。
この喜びだけでも、あの過酷な競技に参加して良かったと心から思いました。
あぁ、あの時のビールの美味さを味わいたいなぁ。
まぁ、もう24時間耐久マラソンは、絶対参加しないけどね。
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