特別な人間になりたい、そう思ってた

どうも、猿吉です。

しょっぱなからすごく恥ずかしいんですが、

昔からずーっと

「特別な人間になりたい!」

という欲求を持ち続けてました。

今でこそ、その欲求は薄らぎましたが、

数年前は、もうその気持ちがめちゃくちゃ強かったです。

「なんで?」とか「特別って何?」とか聞かれても、うまく説明できないんです。

 

・・・そんな時、とある本を読んで、もう吐き気がするほどに刺さったんです。

 

特別な人間になりたい!そう思ってた時に読んだ、ある本

その本とは、小野美由紀さんが書かれた「傷口から人生」という本。

この一説を読んで「あぁ、自分のことだ」と思いました。

「自分は人に馬鹿にされている」と思う人間ほど、特別な人間になりたがる。

そうなると、その思いはどんどん膨らんで、自分を認めない人間を恨む。

同時に、自分が他人を馬鹿にすることに対して、鈍感になる。

他人と同時に自分を叱責していることに、気付かなくなる。

 

もうね、自分の心の汚い部分が、文章という形で、はっきり目に見えてしまって、、、

この本を読んだ時、倒れこむほどに刺さった記憶があります。

 

誰も自分のことなんて見てないのに、周りの目ばっか気にして、

些細なことで「バカにされたのでは!?」と思って、誰かを責めて。

そして、当の自分も、心のどこかで他人をバカにして。

・・・文章にすると、もう泣けてくる。

いろいろ申し訳なくなってくる。

 

特別な人って、どんな人?

「人はみんな特別だ」という手垢がついたような言葉で片付けられたら、

こんなことで悩んでなかったと思うんです。

でも当時の僕は悩んでた。

「みんなと違う人間になりたい」なんていう、わりとみんな思うようなことを思ってた。

 

じゃあ、「特別な人間って何?」と、いま考えると、、、

はて?特別な人間ってどんな人間なんだろう?

・・・分からない。

じゃあ、30歳になる自分が、「特別な人間になりたいか?」と聞かれたら

「別に」って答えます。

今はもう、特別とか特別じゃないとか、どーでもいいかな。

・・・いや、それは嘘だ。

たまにあるなぁ、誰かに認められたいって気持ち。

でも、明らかに昔よりはなくなった。

 

「特別じゃないことは、寂しいことではない」

この記事、じつは数年前に書いた記事を加筆修正しながら書いてるんですが、

その以前書いた文章の最後に、こう書いてました。

いつか「人と同じは嫌だ」という気持ちから解放され、「特別」でなくてもいいと思える日が来ればいいと思う。

 

よほど苦しかったんだろうな。24歳の僕よ。

少しは生きやすくなったよ。

 

・・・そして最後にこんな文章に救われたとも書いてました。

特別でないことは、さびしいことではない。

「特別になりたい」をやめると、自分の好きなものが、分かるようになる気がする。

他人と共有できる、何かが増えてゆく。

特別な自分の代わりに、周りにある、うつくしいものを、愛せるようになる。

「特別な自分の代わりに、周りにある、うつくしいものを、愛せるようになる。」

これは今読んでも、素敵な文章だと思う。

 

もう今は、特別な人間になりたい、なんて思わない。

 

・・・ただ、僕らが組んでる分水嶺や、猿吉個人の「歌」は、誰かにとって特別な歌になってほしいって思います

僕自身は、いいから。

あと、才能の塊の相方を、特別な存在にしたい。

まだまだ彼の良さを生かしきれてない。

そのためにも歌もギターも、もっともっとやってかないと。

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