どうも、猿吉です。
しょっぱなからすごく恥ずかしいんですが、
昔からずーっと
「特別な人間になりたい!」
という欲求を持ち続けてました。
今でこそ、その欲求は薄らぎましたが、
数年前は、もうその気持ちがめちゃくちゃ強かったです。
「なんで?」とか「特別って何?」とか聞かれても、うまく説明できないんです。
・・・そんな時、とある本を読んで、もう吐き気がするほどに刺さったんです。
特別な人間になりたい!そう思ってた時に読んだ、ある本
![](https://poetry0.com/wp-content/uploads/2019/10/S__10526722-e1571198341886.jpg)
その本とは、小野美由紀さんが書かれた「傷口から人生」という本。
この一説を読んで「あぁ、自分のことだ」と思いました。
「自分は人に馬鹿にされている」と思う人間ほど、特別な人間になりたがる。
そうなると、その思いはどんどん膨らんで、自分を認めない人間を恨む。
同時に、自分が他人を馬鹿にすることに対して、鈍感になる。
他人と同時に自分を叱責していることに、気付かなくなる。
もうね、自分の心の汚い部分が、文章という形で、はっきり目に見えてしまって、、、
この本を読んだ時、倒れこむほどに刺さった記憶があります。
誰も自分のことなんて見てないのに、周りの目ばっか気にして、
些細なことで「バカにされたのでは!?」と思って、誰かを責めて。
そして、当の自分も、心のどこかで他人をバカにして。
・・・文章にすると、もう泣けてくる。
いろいろ申し訳なくなってくる。
特別な人って、どんな人?
「人はみんな特別だ」という手垢がついたような言葉で片付けられたら、
こんなことで悩んでなかったと思うんです。
でも当時の僕は悩んでた。
「みんなと違う人間になりたい」なんていう、わりとみんな思うようなことを思ってた。
じゃあ、「特別な人間って何?」と、いま考えると、、、
はて?特別な人間ってどんな人間なんだろう?
・・・分からない。
じゃあ、30歳になる自分が、「特別な人間になりたいか?」と聞かれたら
「別に」って答えます。
今はもう、特別とか特別じゃないとか、どーでもいいかな。
・・・いや、それは嘘だ。
たまにあるなぁ、誰かに認められたいって気持ち。
でも、明らかに昔よりはなくなった。
「特別じゃないことは、寂しいことではない」
この記事、じつは数年前に書いた記事を加筆修正しながら書いてるんですが、
その以前書いた文章の最後に、こう書いてました。
いつか「人と同じは嫌だ」という気持ちから解放され、「特別」でなくてもいいと思える日が来ればいいと思う。
よほど苦しかったんだろうな。24歳の僕よ。
少しは生きやすくなったよ。
・・・そして最後にこんな文章に救われたとも書いてました。
特別でないことは、さびしいことではない。
「特別になりたい」をやめると、自分の好きなものが、分かるようになる気がする。
他人と共有できる、何かが増えてゆく。
特別な自分の代わりに、周りにある、うつくしいものを、愛せるようになる。
「特別な自分の代わりに、周りにある、うつくしいものを、愛せるようになる。」
これは今読んでも、素敵な文章だと思う。
もう今は、特別な人間になりたい、なんて思わない。
・・・ただ、僕らが組んでる分水嶺や、猿吉個人の「歌」は、誰かにとって特別な歌になってほしいって思います。
僕自身は、いいから。
あと、才能の塊の相方を、特別な存在にしたい。
まだまだ彼の良さを生かしきれてない。
そのためにも歌もギターも、もっともっとやってかないと。
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